カンボジア アンコール遺 跡
―――アンコール遺跡概要
世界文化遺跡の1つアンコールワットを始め、アンコール遺跡の多くは、カンボジアの首都プノンペンから西北313km(飛行機で約45分)のシェムリアップ州にあります。インドシナ半島最大の湖トンレサップ湖の西北に位置するアンコール地域は日本の関東地方ほどの大きさで、カンボジア全土で現在確認されている約1080の遺跡のうち、その約7割にあたる約700ケ所の遺跡がこの地域で確認されています。
―――アンコ-ル王朝の栄華
かつてこの国がアンコール王朝として栄えた9―13世紀には、その勢力は近隣諸国におよび、特に最盛期の13世紀にはインドシナ半島全域を版図とする大帝国となります。輝かしいアンコール時代は、9世紀にジャワに囚われていたといわれる王族の一人が帰国後国内を平定し、アンコール地域に拠点を置いたことに幕を開けます。アンコール王朝の発展と共に、信仰心篤い歴代の王のもとで「東洋の奇跡」称されるアンコールワットを始め、クメール芸術の華であるアンコールトムなどの壮大な石造りの都城や寺院、宮殿が次々と創建されます。そして、王都アンコールトムが造営された13世紀にはその勢力は最高潮に達し、北は現在のラオスの首都ヴィエンチャン近く、南はマレー半島北部、東は南ベトナムのチャンパ地方、西は現在のタイのアユタヤ、スコータイまでその地域を拡大します。また文化的にも爛熱をみせ、これまでヒンズー教によってある程度枠をはめられていた宗教美術が、仏教の時代にその制約を取り払い、写実的で自由奔放な図像表現によりクメール美術の本領が発揮され、アンコール美術の頂点を極めるものとなっています。
この時代を最後に栄華を誇ったアンコール朝は終焉に向かいます。14世紀にはシャムのアユタヤ朝の執拗
な侵攻を受け、1431年、ついにアンコール王朝は放棄され、石造建造物の多くは次第に崩れ落ち、密林の中に忘れ去られていったのです。この幻の王国アンコールが密林の中から再びその姿を現すのは、1860年にフランスの博物学者アンリ・ムオの再発見後になります。それから当時の宗主国フランスが中心となって、遺跡の発掘と調査および崩れていた建築物の修復作業が開始され、今日再び私たちは目の前に壮大な遺跡群の威容を見ることが出来るのです。





